味のある佇まい、癒しの住空間、昔から受け継がれてきた大工匠。
そんな日本の古民家に魅せられて、ブログを作成してみました。
わたしも日本の伝統的な古民家を世田谷に再生移築して住みたいものです。

2014年08月30日

旧本田家住宅(長崎県長崎市)

旧本田家住宅(長崎県長崎市)

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国指定重要文化財(昭和44年6月20日指定)

所在地  長崎市中里町1478番地 長崎市所有
建築年代 江戸時代(18世紀後半)


本田家住宅の建築された年代については、現在のところははっきりしたことは判っておりません。しかし、建築様式などから、今からおよそ230年前に建てられたと推測されます。また、本田家の菩堤寺である福瑞寺の過去帳には、「代右衛門明和6年丑天(1769)没」とあるため、この頃からすでに本田家が、ここ中里の地に家を構え、農業を営んでいたと考えられます。

日本旧来の家屋は、俗に田の字型の間取をしていますが、本住宅は、土間より2室の間仕切りを取り除いて3室とした、いわゆる三室間取の構造となっております。入口を入ってすぐ左側には、「おうえ」とよばれる部屋があります。この「おうえ」は囲炉裏を中心として家族が集まり、食事をする場所であり、また、親密な友人などが来たとき、応接する空間です。これに対し、「ざしき」は格式ばった来客があった場合にとおす部屋になります。間取りの最も奥にある部屋は納戸です。主人夫婦の寝間であり、座敷とともに敷居が高くなっているのは、他の部屋と区別をつけるなどの意味合いがあったと考えられます。
(現地説明板より)

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この建物は旧長崎街道(巾:1.8m程)から上の写真の道を15mほど登るとあります。看板も有りません。長崎の方に連れていって頂いたのでたどりつけましたが、案内がなければ分からないかもしれませんね。(国道には看板がありましたが)



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2014年08月01日

日の出山荘(東京都西多摩郡)

日の出山荘(東京都西多摩郡)


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日の出山荘  

中曽根・レーガン日米首脳会談
昭和58年(1983年)11月11日 ロナルド・レーガン アメリカ合衆国大統領夫妻は中曽根首相の招待を受けて此処「日の出山荘」を訪れ、中曽根首相・レーガン大統領による日米首脳会談が行われた。

12時半に山荘到着後、「青雲堂」に於いて両首脳夫妻はお揃いのチャンチャンコを着て寛いだ雰囲気の中で昼食を共にし、中曽根首相自らお茶を点てるなど、和やかな会食であった、其の後両首脳による日米首脳会談は「天心亭」の囲炉裏を囲んだ椅子席で行われ、日米及び世界の重要問題に関する率直な意見交換が行われた。

この会談は世界各国にテレビ放送され、日本の農家の佇まいと、林に囲まれた静かな山里での会談は日本の紹介とロンヤスと呼ばれた日米結合の強さを示した。

この会談を成功に導いたのは沿道で星条旗と日の丸の小旗を振って温かく歓迎した町の人々であり、3600人に及ぶ警備や国内外の多数の報道陣の取材等により「日ノ出町」の名は全国に知られるところとなった。

日ノ出町はこの記念すべき出来事を永く伝えようと2002年11月に地元有志の協力を得て、町の中央にある文化の森に、日米首脳会談記念碑「平和の碑」を建て、ハワード・ベーカー駐日大使夫妻の列席のもと除幕式が盛大に執り行われた。

現地説明板より。


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青雲堂

江戸時代末期に建てたとされる古民家、昭和37年に中曽根氏の別荘となり「青雲堂」と呼びました。故郷・高崎市にある政治運動の拠点”青雲塾”から名付けました。中曽根氏はここで茶を点てて客人をもてなし、趣味の俳句も数多く詠みました。

昭和58年11月11日、レーガン大統領夫妻を招いた時も自ら点てた茶の湯で2人をもてなし、ちゃんちゃんこを羽織って食事と会話を楽しみ、親交を深めました。

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細川紙紙すき家屋(埼玉県秩父郡)

細川紙紙すき家屋(埼玉県秩父郡)


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細川紙紙すき家屋 外観



細川紙紙すき家屋は昭和49年3月8日に埼玉県指定有形民俗文化財として指定されました。

近世から近代において細川紙の紙すきが盛んにおこなわれていた頃の一般的な紙すき家屋です。
寄棟造り、 茅葺きの中規模農家であり、間口16.69m、奥行10.11m。
解体時は四間取りでしたが、当初は広間型三間取りと推定されます。土間にはウマヤがありましたが、天保年間(1830〜1843年)に紙すきを始めたため、これを撤去して紙すき場をつくったと考えられています。

家屋の建築年代は17世紀末と推定されています。
この家屋は、細川紙手漉(てすき)和紙関係用具の収集の一環として、大字奥沢の江原義貞氏から村が譲り受け、移築復原したものです。

東秩父村教育委員会



住 所 :埼玉県秩父郡東秩父村大字御堂441 東秩父村和紙の里内
TEL  : 0493(82)1468



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細川紙紙すき家屋 外観


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細川紙紙すき家屋 内観


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細川紙紙すき家屋 内観


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古納屋(東京都練馬区)

古納屋(東京都練馬区)

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古納屋外観



古納屋は、練馬区内大泉町の見留康宏家に残る古い物置を移築・復元したものです。
建築年代は不明ですが、正面2枚の上桟を用いない大戸や角釘の使用などからして、江戸末期の建築物と推定されます。

折置組、寄棟造りの平屋建で、基礎は玉石をすえ、土台をめぐらしています。外壁は正面が板壁、その他は土壁で、復原前の屋根は茅葺になっていました。屋根裏部屋が収納場所になっているのが特徴です。
時代とともに 構造に手が加えられていますが、江戸時代の農家の物置の姿を残しています。



住 所 : 練馬区土支田3丁目34番26号 土支田農業公園内
TEL  : 03(5387)8931



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古納屋外観


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古納屋入口


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古納屋 屋根裏


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渡辺泉氏住宅(山梨県南都留群)

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渡辺泉氏住宅 外観



母屋の現状は、妻の上部を小さな入母屋の茅葺兜作り屋根とし、大棟に換気の箱棟を付けた桁行九間半、梁行五間一尺の規模である。
いまの間取りは床上部分の表側から左の妻側にかけてザシキ・ゼイサ・オクンゼイサを配し、ザシキの裏に一間幅のヘヤと土間(デードコロ)に張り出した広いカッテバがある。
しかし改築に際して西側の二室(ゼイサ・オクンゼイサ)を改造し、ザシキ・ヘヤ・カッテバも組み替えられた。
また、藤次の大黒柱の梁行の柱通には、前のほうから三尺−六尺の四間の割付で柱がたち、ザシキとヘヤの境には一間の押板があるが、以前のヘヤの幅は二間らしい。
柱の仕上は、ゼイサとオクンゼイサを鉋とするほかは手斧(ちょうな)仕上だが、 大黒柱を一尺四寸、その前後のものは八寸弱、ザシキ内部の柱は八寸から七寸弱とするなど、かつての木組を誇ったころの傾向がのこされている。
以上のことなどからみて、現建物の建築年代は十八世紀後半と推定され、この地域における大型農家の一代表的遺構といえる。



住 所 :山梨県南都留郡忍野村265 榛の木林民俗資料館
TEL  : 0555(84)2587

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渡辺泉氏住宅 内観



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渡辺泉氏住宅 内観


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