味のある佇まい、癒しの住空間、昔から受け継がれてきた大工匠。
そんな日本の古民家に魅せられて、ブログを作成してみました。
わたしも日本の伝統的な古民家を世田谷に再生移築して住みたいものです。

2015年04月18日

柳瀬荘(埼玉県所沢市)

所沢市 柳瀬荘



柳瀬荘

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〒359−0012 埼玉県所沢市阪之下437  
公開日:木曜日

柳瀬荘はもと故松永安左エ門氏(耳庵)の別荘でしたが、昭和23年3月に東京国立博物館へ寄贈されました。敷地は17.235平方メートル、建物は重要文化財の「黄林閣」のほか書院造りの「斜月亭」と茶室の「久木庵」などがあります。



黄林閣

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黄林閣 ; この建物は現在の東京都東久留米市柳窪の地において、天保15年(1844)大庄屋であった村野家の住宅として建てられたもので、昭和5年に故松永安左エ門氏(明治8年〜昭和46年、電力事業に生涯を捧げ「電力の鬼」といわれた実業家、茶道・美術に造詣が深かった)が譲り受けてここに移築し、別荘として使っていたものです。江戸時代・天保期の特色をよく示すものとして重要文化財に指定されています。

木造平屋建、入母屋茅葺、建築延面積 381平方メートル 桁行13間、梁間6間半、昭和53年国指定重要文化財



斜月亭

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斜月亭 ; この建物は昭和13年頃に東大寺や当麻寺などの古材をもって建てれたと伝えられており、その造りは近代数奇者といわれた故松永氏の個性あふれる趣に満ちています。

木造平屋建、瓦葺、数寄屋風書院、建築面積 151平方メートル、8畳の上の間、6畳次の間、縁座敷の表5畳



久木庵

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久木庵 ; この茶室はもと江戸初期の武士土岐二三が建てたもので、解体されていた旧材料をもって昭和13年頃に建て替えられたものです。

木造平屋建、鉄板葺、真壁造、建築面積 17平方メートル、2畳台目の茶室及び4畳水



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旧伊藤博文金沢別邸(神奈川県横浜市)

旧伊藤博文金沢別邸(神奈川県横浜市)

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交通案内: 京浜東北・根岸線「新杉田駅」、京浜急行線「金沢八景駅」より
      シーサイドライン「野島公園駅」下車 徒歩5分
ご利用案内:開館時間 9;30〜16;30 「7月・8月は9;30〜17;30」
休館日:  毎月第1・第3月曜日「休日の場合はその翌日」 年末年始「12月29日〜1月3日



明治期の茅葺屋根海浜別邸建築

旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文公により、明治31年(1898)に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別邸建築です。

明治期、富岡などの金沢付近は東京近郊の海浜別荘地として注目され、松方正義や井上馨などが別邸を設けました。その後、大磯、葉山などの湘南地方が別荘として栄え、金沢はその役割を終えました。金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。

平成18年(2006)11月横浜市指定有形文化財に指定されました。建物の老朽化が著しかったことから、平成19年(2007)解体工事・調査を行い、現存しない部分を含め創建時の姿に復元することになりました。平成20年(2008)6月より工事着手、平成21年(2009)に庭園と併せて竣工しました。本施設は内外共ご自由に見学いただけます。
パンフレットより


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写真で分かりにくいと思いますが、障子紙の貼り方が裏千家の茶室のようにわざと桟の裏で継ぐのではなく桟と桟の間で化粧で継いでいます。これも綺麗ですね。




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吉田家住宅(埼玉県比企郡)

吉田家住宅(埼玉県比企郡)

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吉田家住宅



吉田家住宅は、享保6(1721)年に建築された、実年代のわかる県内最古の民家です。平成元(1989)年に国の重要文化財建造物に指定されました。建物の規模は桁行21.8m、梁間10.5mを測ります。

入母屋造りで茅葺屋根を持つ大きな民家です。間取りは「三間広間型」と呼ばれる、奥に2間の畳敷きの座敷、手前に広い板間のある江戸時代の典型的なものです。板間にはいろりがきられ、土間の中央やや北側に大きな一口かまどがあります。南側の大戸脇には風呂場があり、その対岸の北側には流し作られています。土間の東半分はうまやです。北東部には浅い掘りこみがあり、おそらく馬もしくは牛が飼われていました。南側には腰窓があり、紙を漉いていました。南側から西側にかけて縁側が巡り、その先にあたる北西部には外便所があります。

昭和59(1984)年の調査の時、柱に貼り付けてあった棟札が見つかりました。ここには「享保六丑歳霜月吉祥日」と記され、この民家を建設した時の祈祷札であることがわかりました。

長い年月が経過したことで、建物のいたみが著しかったことから、平成8年度から3カ月かけて国庫補助事業として建物の全面解体修理工事が行われました。また、同時に初期消火設備や自動報知器の設置工事などの防災施設事業、西側斜面の擁壁工事などの環境保全事業も行いました。



交通案内

電車 JR八高線 「竹沢駅」下車 徒歩10分
   東武東上線 「東武竹沢駅」下車 徒歩20分

車  関越自動車道 嵐山・小川ICから約15分
   関越自動車道 花園ICから約20分

駐車場 約15台分



見学案内

開 館:午前9時〜午後4時30分
休館日:月・火曜日(祝日と重なる場合は翌日)
入館料:無料
個展・イベント・サークル活動等にご利用いただけますのでご相談下さい。



<問い合わせ>
重要文化財吉田家住宅

埼玉県比企郡小川町大字勝呂424
TEL:0493−73−0040
FAX:0493−74−1863
パンフレットより

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白洲次郎・正子旧宅「武相荘」(神奈川県川崎市)

白洲次郎・正子旧宅「武相荘」(神奈川県川崎市)

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町田市指定史跡

白洲次郎・正子旧宅
所在地 町田市能ヶ谷町1283番外
指定年月日 2002年11月14日


戦後の新憲法制定に深く関わり、東北電力会長としても活躍された白洲次郎と、美術評論家・随筆家として読売文学賞2回受賞、町田市名誉市民台1号の白洲正子のご夫妻が、能ヶ谷のこの地に農家を買い取り移住されたのは、昭和17年(1942年)であった。

寄棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺屋根の主屋と、カキ、シラカシ、などを配した広い庭のたたずまいは、多摩地域の養蚕農家の面影をいまに伝える貴重な文化遺産である。整形4間取の間取や材料、構造からみて、19世紀以降のもので、明治初期の建築と推察できる。養蚕農家として明治・大正・昭和と使われてきた「家・屋敷」が原型に近いかたちで今日に残されたのは、古い民家などに限りない価値を見出した、白洲ご夫妻の独特なライフ・スタイル賜(たまもの)であろう。

冠せられた「武相荘(ぶあいそう)」という愛称も、古い農家に具わる”静謐な美”に寄せるご夫妻の、慎み深い敬称と読みとれる。
設置年月日2003年8月 町田市教育委員会
現地案内板より。

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大内宿(福島県)

大内宿(福島県)

重要伝統的建造物群保存地区
下郷町大内宿伝統的建造物群保存地区
面積 約11.3ヘクタール
国選定 昭和56年4月18日

大内宿は会津若松と日光・今市を結ぶ南山通り(会津西街道)の宿駅に一つである。

この南山通りは、会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の一つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道であった。

大内宿が宿駅として整えられたのは17世紀中頃と推定され、本陣・脇本陣がおかれた。

保存地区は旧街道に沿った旧宿場を中心とする南北約500メートル、東西約200メートルの範囲である。本地区の街並みの特徴は寄棟造の建物が道路と直角に整然と並べられていることである。主屋は道路から空地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて奥の土間入口への通路となっており、倉や納屋は主屋の奥に建つ。

主屋の多くは江戸時代後期から明治かけて建築されたもので、道路側に半間幅の縁をつけ、その奥の2室を座敷にしている。

道路の中央には広い溝が設けられ、宿場の用水路として利用されたが、明治19年になって埋めたてられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなどの変遷があった。

この街並みは、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。又、周辺の社寺や自然環境とも一体となって優れた歴史的景観を今に伝えている。
                                                
文部省、福島県、下郷町
現地説明板より





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大内宿の街並み


大内宿街並み展示館(大内宿本陣跡)

大内宿の本陣は会津と奥州街道を結ぶ会津西街道の拠点のひとつとして江戸時代の初期に建てられ会津藩の初代藩主・保科正之、2代藩主・正経が江戸参勤のためにこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っている。この時の行列の総人数は約600人で、宿場内はたいへんなにぎわいであったという。

ところで、大内宿は戊辰戦争の舞台となったことから、本陣に関する記録、図面等が散失しいまだ発見されていない。このため同じ街道の糸沢宿、川島宿の本陣を参考に設計し復元されたものである。本陣には殿様専用の玄関(乗りこみ)・上段の間・風呂・雪隠があり、茅屋根のどっしりした風格ととともに当時の面影を色濃く再現している。

文部省、福島県、下郷町
現地説明板より

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大内宿本陣


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